どう、と轟音と共に砂煙が舞い上がった。  吹き飛ばされたモジャンボが、咆哮を上げて起き上がろうとするところに、砂煙の中で彼女は、モジャンボにすかさずシャドーボールを撃ち込んだ。  触手を伸ばして抵抗するモジャンボ。シャドーボールにも怯まず彼女に迫る触手の一本が、彼女の腹部を突いた。衝撃で、彼女の身体が宙に舞う。  無防備になった彼女の身体に、隙を突いた無数の触手が迫り来る。触手は彼女の四肢を絡めとり、太い触手がその細い頸をまさに締め上げんとしていた時だった。苦悶に歪む彼女の、額の宝石が紅く輝く。  無音。それから数瞬おいて、触手の拘束が緩んだ。触手を振り払い、彼女が床に着地する。同時に、轟音。砂煙を再度舞い上がらせて、ようやくモジャンボは沈黙した。 「サイコキネシスが発動していなかったらどうなっていたかしら……ごぽっ!?」  そう言いかけた彼女――エーフィの口から、赤黒い塊が吐き出される。――血だ。どうやら、先程の攻撃で内臓をやられたらしい。 「やってくれるじゃない、本当に……まあいいわ、お尋ね者は倒せたんだし……」  と、エーフィはトレジャーバッグから取り出したオレンの実を口に放り込んだ。  当然、そのお尋ね者とはモジャンボのことであった。最近、他所からやってきたというポケモンで、この辺一帯を荒らしまわっていると、辺境の村に多数の通報があったらしい。  そこで、村の自治団が、モジャンボが根城としているという森へ討伐に赴くも、数匹で行き、帰ってきたのはたったの一匹だったらしい。  事態を重く見た村の長は、腕利きの探検隊にモジャンボを討伐する依頼を街のギルド――探検家の集う施設である――に出した。  探検隊とは、未開の地を開拓するのと同時に、他のポケモン、団体から依頼を受けることを生業としている者達の総称であって、つまり、彼女、エーフィは探検家であって、その依頼を受託したのも彼女だった。  もっとも、探検"隊"とは言っても、それは彼女一人で構成されている為、実際には探検家と形容したほうが正しいのかもしれない。  事前に集めた情報を元に森に入ったエーフィは、半日かけてその奥に辿り付いた。確かに、そこにはモジャンボがいた。  死角を狙ったつもりで仕掛けた先制攻撃を防がれ、圧され気味であったエーフィだったが、なんとかモジャンボを仕留めることが出来た。シャドーボールの力が、サイコキネシスの効き目を強めてくれたようだった。 「さて、目的も済ませたところだし……こんな場所、早くオサラバしましょ……なによ、これ」  帰路に着く支度を済ませ、来た道を引き返そうと独りごちつつ振り向いたエーフィの目の先は、一本の巨木の根元にあった。巨木の根元に生えた、奇妙な形状の植物。モジャンボを思わせる、複雑に絡み合う蔓の隙間の所々から覗く、白い何か。  歩み寄ってよく見てみると、それは、紛れもなくポケモンの骨だった。蔓の隙間から同様に覗く黄色の生地は、おそらく彼が身に付けていたトレジャーバッグだろう。 「あのモジャンボがやったのかしら……」  あの戦いに負けていたら、自身もこのような姿になっていたのだろうか。肉体を養分として吸収され、骨だけになり、ただ朽ちていくだけの存在になった自身の姿を想像して、エーフィの背筋が寒くなる。  エーフィは近くに生えていた小さな花の茎を食いちぎり、その植物の――彼の前にそっと供えた。  その時だった。  ズズ、という地鳴りにも近い音が響き、エーフィは咄嗟に振り向く。そこでは、倒したはずのモジャンボが起き上がろうとしていた。――とどめを刺せていなかったんだ!  後ろ足で力強く跳躍し、その場から一気にモジャンボとの距離を詰める。再度起き上がったとはいえ、モジャンボの体力は限界に近いはず。ならば、速攻で今度こそとどめを刺すのが最適だろう、という判断からの行動だった。  モジャンボとの距離が二メートルほどまでに縮まる。エーフィの額の宝石が紅く輝く――それと同時に、モジャンボの触手の隙間から、紫色の霧が噴き出した。 「いっ……ぎゃあっ……!?」  霧の中に突っ込んだエーフィは、まともに霧を吸い込んでしまったようだった。胸が激痛と共に熱くなる。強力な毒霧のようだ。  体勢を崩し、咳き込むエーフィ。ごぽり、と大量の血液が吐き出される。  そこに、モジャンボが覆いかぶさるようにして、襲い掛からんと幾本もの触手を振り上げた。  咄嗟に、エーフィは目を瞑った。沈黙。ゆっくりと目を開けると、モジャンボは停止していた。  エーフィはすかさず後ろに飛び退いた。振り上げられた触手がうなだれる。そして、モジャンボの巨体が砂煙を上げながら沈む。 「今度こそ……倒した……のかしら……」  荒い息づかいで、ゆっくりとモジャンボの身体に近付くエーフィ。シンクロを発動させる――生体反応無し。今度こそ仕留められたようだった。間一髪でサイコキネシスが発動したらしい。 「はやく……毒を……治さなきゃ……」  猛毒に身体を侵食され、急速に遠退きゆく意識を繋ぎ止めながら、エーフィは床に置いたトレジャーバッグの中を鼻先で掻き回す。甘酸っぱい、嗅ぎ慣れたその匂いの元――モモンのみを探し当てて、エーフィは、それを口中に押し込んだ。  ゆっくりと、モモンのみの解毒成分が自身の体内の毒を分解していくのが分かる。エーフィは地面に寝そべったまま、安堵の溜め息をついた。 「モモンのみがあって良かったわ……でも、今日はもう、動けそうにないわね……。ここで一晩休みましょう……」  ふらふらと立ち上がり、適当な寝床を探すエーフィ。先程の巨木の根元に手頃な洞を見付けたエーフィは――誰かの亡骸の傍で寝ることなんて普段の彼女なら絶対にしようとはしないだろうが――そこで一晩を過ごすことにした。安全な場所で、何よりもはやく休みたかったのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−  全身に蔓が絡みつき、四肢をきつく締め上げる。  悲鳴を上げようにも、喉の奥から這い出てきた蔓がそれを許そうとしない。  生きながらにして干乾びていく地獄に、音にならない声で"××"は叫んだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−  はっ、としてエーフィは飛び起きた。明確に覚えてはいないが、嫌な夢を見た気がする。全身が、熱があるように熱く、そして、痒い。  モモンのみひとつでは解毒しきれていなかったのだろうか? エーフィは、ひどく喉が渇いていた。  舌を突き出して熱を発散しながら、水の匂いを辿って近くの小川までエーフィは歩いた。  舌の先を、小川のせせらぎに当てる。その冷たさを確かめると、何かに突き動かされるように、エーフィは一心不乱に水を飲み始めた。  身体が冷却されて、意識もだんだんと研ぎ澄まされていく。こんなに喉が渇くのは初めてだ、とエーフィは思った。  水を飲み終えて、小川を後にしようとするエーフィ。一歩前に踏み出して、一瞬、身体に違和感を覚える。ほんの一瞬だけ、身体が硬直したような、そんな不思議な感覚だった。  その時は気にも留めず、身体に残った毒の影響だろうとエーフィは思った。  それから数歩。また数歩ごとに、身体が硬直するような感覚。いや、身体が硬直した訳ではない――まるで、身体の内側から、何かが一斉に目覚めようとしているような、その衝撃を受けたような感覚。嫌な予感を、エーフィは覚えた。  ぴきり、と痛みにも似た鋭い痒みを、ふとももに感じた。反射的に、エーフィは股を開き、痒みを生じている部分を甘噛む。  ――痒い、痒い、痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。異常なほどの痒みに、思わず、エーフィはその牙でふとももを強く抉ってしまった。 「痛……ッ!?」  痛覚と口中に広がる血の味で、我を取り戻すエーフィ。しかし、その傷口を見て、彼女は絶句した。  血に染まった傷口の中で、何か、青白いものが蠢いている。いや、青いというよりは――それは、緑色に近しい色をしていた。  ぞくり。全身に、鋭い痒み。ここで初めて、彼女は寝起きに自身が痒みを覚えていたことを思い出した。  同時に、皮膚の下を何かが這う感触をエーフィは覚えた。 「いッ……嫌……ッ、何……なによ……これ……」  得体の知れない恐怖に駆られ、脱力するエーフィ。股に生暖かいものを感じた。がくがくと身体が震え、眼に涙が浮かぶ。  全身の皮膚が、突っ張る感覚。――嫌な、予感。 「嫌……い、いッ、嫌ァッッッッッッッ!!?」  エーフィは全力で叫んだ。同時に、彼女の身体の至る所から、ぷしゅっ、と血が噴き出る。 「ッ、ああああッッ、ガッ……ああああああッッッ!!」  突然全身を襲った激痛に、エーフィは悶え狂う。  ふとももの傷口と同じように、血が噴き出たところからは、緑色の何かが蠢いていた。  そして"ソレ"は、傷口から伸びて、うねうねと、彼女の身体に巻きつこうと動いた。  信じたくない。これは現実じゃない。これは"夢"なんだ――"夢"?  狂いそうになるほどの激痛の中で、彼女はこれが現実であるということを必死に否定した。  だが、それは過ちだった。忘れかけていた悪夢の内容を思い出してしまったのだ。  あの夢は、巨木の根元の亡骸にシンクロしたものではない。それが予知夢であったという事に彼女が気付くまで、そう時間を要さなかった。  そして――"ソレ"が、あの亡骸に絡み付いていた植物と同質の蔓であるということにも。  それが予知夢でなかったということ――これが現実ではないということを、必死に肯定しようと彼女の意識が働く。だが、それを肯定しようとすればするほど、逆に、その根拠を次々と失い、それが予知夢であったこと、これが現実であるということが浮き彫りになっていく。  理性が働くということは、時に、自分を追い詰める。逃げ場の無い恐怖が、彼女の理性をも蝕んでいく。  月光を浴びて、蔓が、成長して太くなる。傷口を拡げられて、エーフィは痛みに喘いだ。  今や、頭を除いた彼女の全身から蔓が伸び、ゆっくりと蠢き――彼女の身体に巻き付こうとしていた。  太い蔓が彼女の腹を裂いてできた大きな亀裂から、後続の蔓が所狭しと伸び出ている。脚の付け根から這い出た蔓によって骨が圧迫され、脚がおかしな方向を向いていた。 「死にたくない……死にたくないよぉ……助けて……ママ……」  あまりの激痛に、意識が吹き飛びそうになる。  朦朧とした意識の中、焦点の定まらない眼で虚空を見つめ、うわごとのようにエーフィは呟いていた。  だが、それで終わりではないことは、彼女が一番良く知っていた。  彼女の身体に続々と蔓が巻き付く。巻き付いた蔓は、ゆっくりと、だが確実に、彼女の身体を締め上げていく。 「痛ッ……、いッ、ぐすっ……お願い、やめて……ッ、お願い……あああああああッッ!!」  ぎしぎしと軋み、加速的に増していく痛みに、遠退きかけた意識が引き戻されて、彼女は再度悲鳴をあげた。  喉に熱いものを感じる。血の混じった胃液が、彼女の喉を焼きながら、ごぽごぽと音を立てて吐き出された。  加圧に耐えかねた骨が、体内で折れていくのが分かる。蔓に蝕まれた彼女の内臓に、折れた骨が突き刺さっていく。 「嫌……嫌ァ……ッ、ごぽッ、げほッ、あああァ……どうして……やだ……」  エーフィは掠れた声を搾り出した。あの夢が、骨だけになった亡骸が、脳裏をよぎる。  あの亡骸のように、複雑に絡み合った蔓の中で、骨だけになった自分の姿が、思い浮かんだ。  ――やどりぎのたね。それが、モジャンボの吐いた毒霧の正体だった。毒は、獲物を弱らせる為のものでしかなく、主成分は無数の微小な種子にあった。毒霧を全身に浴びたとき――ミクロな種子を全身に受け、大量に吸い込んでしまったときから、既に彼女は手遅れだったのだ。  蔓が青白く光る。エーフィの肉体が養分として分解されていく。  生きながらにして、干乾びていく感覚。痛みは無い。何も感じない。強いて感じるものがあるとすれば――。エーフィは、ひどく喉が渇いていた。 「みずを……みず……だれかぁ……みずを……」  ――既に彼女の口からは、何本もの蔓が溢れ出ていた。そして、耳からも。音にならない彼女の声が、空気として蔓の隙間から抜けていった。  ぱきり。彼女の額の宝石にひびが入る。彼女の額から蔓が飛び出して、周囲の皮膚ごと剥がれた宝石が、地面に落ちて砕けた。  蔓の成長で、彼女の亡骸が揺れる。彼女の身体を養分にして、太く、逞しく成長した蔓が、より複雑に絡み合っていった――。 −−−−−−−−−−−−−−−−  森の奥深く、小川のほとりに、大地に根差して、蒼く茂った植物があった。  複雑に絡み合う、蔓状のその植物の足元に、粉々に砕けた宝石が、木漏れ日を受けてルビー色に輝いていた。