「〜Happy End Series〜 Ver.Maria」 ------------------------------------------------------------------------- いつかもう一度あるのだろうか? もう一度――誰かを本当に好きになる日が来るのだろうか? 日々過ごす中でずっと…片隅に持っている僕の疑問です。 前のアーたんのような、心から僕が「好き」と思える人が…。 「とても嬉しいです。……でもごめんなさい。西沢さんの想い…今僕は受け取ることができません。」 「そう、なんだ…。」 「…すいません。西沢さん…。」 僕の誕生日の11月11日、僕は再び西沢さんに告白されました。 西沢さんの真剣な想いを聞いて、僕はこれほどまでに西沢さんに想われていたのかと思うと、とても嬉しく、そしてありがたかったです。 でも僕は…その想いを受け取ることはできませんでした。 「……理由、私と付き合ってくれない理由…聞いちゃいけない…かな?」 西沢さんは涙を目にいっぱい浮かべてそう仰いました。 「………。」 僕も西沢さんのこの想いがとても深い事が分かります。 ですから僕も誠意を持って西沢さんの質問に答えます。生半可な答えは許されませんが。 「……実は僕、今気になる人が……いるんです。」 これは苦し紛れについたウソではなく、本当のことでした。 あのゴールデンウィークの事より前から、僕には気になっている人がいるんです。 いると言うより、そう思っている事に「気づいた」に近いですが。 ですから、僕は西沢さんの想いを受け取ることができなかったのです。 「すいません。西沢さんには辛い想いをさせて……。」 「それは…ナギちゃん?」 「違います。」 お嬢さまは大事な方です。けどそれと僕の気持ちは違います。 「…ヒナさん?」 「違います。」 憧れはありますが、あのヒナギクさんが迷惑かけっぱなし、怒られっぱなしの僕なんかに振り向いてくれるわけないじゃないですか…。 「ひょっとして水蓮寺さん?」 「違います。」 アイドルだし、僕は彼女にひどい事をしましたし、僕を好きになってくれるわけがありませんよ。 「………マリアさん?」 「………はい。」 そうです。僕はずっと気になっている人は…マリアさんなんです。 -------------------------------------------------------------------------- マリアさんと出会って、もうすぐ1年になります。 17年生きてきて、1年の長さがこれほどまでに長く感じる年はありませんでした。 波乱万丈な人生を送っていると自分で言えるほどの僕の17年ですが、今年はそれほどまでに密度の濃い1年だったのです。 その1年の中で、僕は大事な人と出会いました。 まずは、僕を絶望の淵から救ってくれたお嬢さま。今の僕が居るのも、お嬢さまのおかげです。 僕の命よりも大事な方。何があっても絶対に守ると誓いました。 今でもその思いに揺るぎはありません。 そして…マリアさん。 お嬢さまのお姉さん的存在として、僕の先輩として、いろいろな姿を見てきました。 僕は初めてマリアさんに会った日の事を今でもしっかりと覚えています。 「こんな寒い夜にそんなに薄着でいると…風邪引いちゃいますよ…?」 初対面だったのにマリアさんはそっと僕にマフラーをかけてくれました。 ……不意打ちでした。 今まで愛情らしい愛情を受けた事のなかった僕は……その時の温かさ、優しさに…感涙しました。 そして執事としてお屋敷で働くうちに、いろいろな事を知って、たくさんの時を過ごしていくうちに、いつしか僕は無意識にマリアさんを目で追うようになっていました。 笑顔にドキッとしてしまう事もありました。すねられたり僕をからかったり、怒ったりといろんな表情を見せるマリアさんに、僕はたまらなく愛しさを感じるようになりました。 マリアさんのそばに居たり話したりすると本当に幸せです。一人の時は何となくマリアさんの事を考える事もあります。 そして、あの時以来封印していた「好き」という感情が今自分に戻ってきたんだと気づくのは、そう時間はかかりませんでした。 けれどマリアさんにこの気持ちを伝えてもいいのかどうか。 お嬢さまは「マリアに手を出しては許さん」と過去に仰られていました。お嬢さまの仰る事は守らなければなりませんが… ですが僕の「想いを伝えたい」とマリアさんを想う気持ちは、日々募っていくばかりでした。 -------------------------------------------------------------------------- それからまたしばらくして、今度はルカさんに呼び出されて…ルカさんのマンションへやってきていました。 何でも、「どうしても来て欲しい」と仰られたので、漫画のアイデアか何かだろうと、僕は一人でルカさんのマンションへやってきました。 「えっ、新曲を試聴させてくれるんですか?」 「うん。もうじきクリスマスだからそれをイメージした新曲なの。」 と、ルカさんは僕に音楽プレイヤーを手渡します。 曲の内容は、クリスマスを前に好きな男の子へ想いを伝えようとする女の子が題材でした。 とても気持ちがこもっている事を思わせる歌詞で、ルカさんもひょっとしたら誰かに恋してるのかなぁとふと僕は思いました。 「どうかな?」 ちょっと顔を赤くして、ルカさんは僕の言葉を待っていました。 「へぇ…いい曲ですね。ありがとうございます。」 聴き終わって、僕はルカさんに音楽プレイヤーを返します。 「えへへ…ありがとう。………ところで、ハヤテ君。」 「はい?」 「前に私とした約束……覚えてる?」 「…はい。もちろん覚えていますよ。」 「私、あの時…『私のお願いを一つだけ叶えてくれる』って言ったよね。ちょっとやそっとのお願いじゃないし、ものすごく空気の読めないお願いをするって…。」 この時、僕はルカさんが今僕に何を伝えたいかが何となく予想できました。 「そう…でしたね。」 「私…お願い、…決まったの。」 僕をまっすぐに見つめて、真剣に言うルカさん。 「そうですか…なんとでも僕にできる事でしたら、仰ってください。」 少しの沈黙の後、ルカさんはこう言いました。 「私を…私を、ハヤテ君の彼女にしてっ!!」 「………!」 これが…ルカさんのお願いでした。 「ものすごく無茶で、こんなのに頼って言うなんてずるいって事ぐらい分かってるよ? けど…ハヤテ君の周り、ナギやヒナが、ううん、他にもいろんな女の子がハヤテ君に告白して、もしそれをハヤテ君がOKしたら私…せっかく初めて好きになれた人に想いを伝えられないまま終わっちゃうんじゃないかって。」 ルカさんは顔を真っ赤にして、僕への想いを口にします。 でも僕の想いは決まっていて、けどルカさんの悲しむ顔は見たくなくて。 これは約束なのに…絶対約束を守るって僕から言ったのに。 もうしないつもりだったのにまた裏切ってしまうのかという罪悪感がのしかかってきます。 「でも…そうだとしたらルカさんのお仕事が…」 僕はこの「お願い」から逃げたくて、ルカさんの仕事を盾にするという苦しい逃げに出ました。 ですがルカさんは…なおも僕への想いをぶつけてきます。 「確かに私はアイドルで、もし誰かとお付き合いなんかしたら今居る世界から干されるかもしれないよ?だけど…私、あなたが本当に好きになっちゃったんだよ?」 よりルカさんの想いが伝わってきます。前の西沢さんのときと同じ、真剣な想いが。 そしてさっき聴かせてもらったルカさんの新曲の真意を知って、僕はますます罪悪感がのしかかってきます。 あのさっきの歌の歌詞の「私」はルカさんで、「君」は僕のつもりだったんだと…。 人を好きになる事に罪悪感は感じる必要はないと思いますが、想いを伝えてくれた人へその想いを受け取れないと伝える時が本当に辛いです。 「ハヤテ君はひょっとして私のこと……嫌い?」 「いいえそんなっ!僕がルカさんを嫌いになるわけないじゃないですか!」 慌てて僕は否定します。もちろんルカさんの事…嫌いじゃないです。 ですが…異性として、一人の女の子としてルカさんを想う事は…今の僕は出来ません。 「じゃあ私がアイドルだから敷居が高いって思ってる?それともハヤテ君はもう誰か…ヒナかナギか千桜か…それとも他の誰かと付き合っているの?」 何故なら…もう僕の心のその場所にはマリアさんが居るからです。 「違います。ですけど僕には…今好きになってしまった人がいるんです。」 「えっ……。」 「ごめんなさい。こればかりはさすがにお応え出来ません…!」 「…うそつき。私の願い…なんでも一つ叶えてくれるって言ったのに……。」 泣きそうな表情のルカさんに僕の心は締めつけられます。 けど…僕は…。 「すいません…本当にごめんなさい!」 「……冗談よ。そか…もうハヤテ君には好きな子がいるんだね。誰かは知らないけれど、きっとうまくいくと思うよ。ん…だったらこれからも友達で、そして執事さんで居てくれる?」 「はい。もちろんそれは絶対に。」 「うん、分かった。約束よ?」 「……はい。」 「じゃあこれを…私のお願いにしようかな。」 残念そうな表情のまま、それ以外の感情を出さずにしていたルカさんでしたが、どんな気持ちかは容易に想像がつきました。 -------------------------------------------------------------------------- 西沢さんの想いも、ルカさんの想いも知りました。 でもそれを僕は受け取らず、罪悪感でいっぱいになりながらも僕の想いはマリアさんへ向ける事へ決めました。 想いを伝えて…どう思ってくださっているかは別として、とにかくマリアさんの僕に対する気持ちが知りたいと。 もし僕の想いにマリアさんが頷いてくれるなら、生涯の伴侶になって欲しいとまで思っています。 ですがマリアさんに想いを伝えようと考えると、お嬢さまが前に仰った言葉が僕の心を引き止めます。 「言っておくが、マリアに手を出したら…殺す程度ではすまさんぞ?」 きっと半分お嬢さまの冗談も混ざっていると思いますが、お嬢さまがマリアさんをそれほどまで大事に思っているという事が分かります。 ですが…僕は今そのお嬢さまの言葉を破ろうとしています。 ダメな事だって分かっていますよ。ですけど、 ………。 一週間悩んで、そして僕は結論を出しました。 やる前に諦めるより…とりあえずやってみてから謝ろう。 折角の西沢さんやルカさんの想いを受け取らずにここまで来たからには、もう引けません。 どんなに言葉を並べたってお嬢さまに許して頂けないかもしれません。 それでお嬢さまにどんなに怒られたって、もう……殺されたっていいです。 もうそれほどまでに僕はマリアさんへの想いが重く、そして深くなっていました。 -------------------------------------------------------------------------- 一人になった時、ふと思う事があります。 「私はこの先どうなるんだろう」って。 今はナギのそばに居てずっとお世話をしているけれど、いつかは私も好きな人ができて、ナギから離れる時がきっと来るのでしょう。 実は…気になっている人はいるんですよ。 私の同僚で、かわいい弟みたいな存在で、それでいて力持ちで、とっても優しくて…そんな「彼」に、密かに想いを寄せています。 ですが…私の想いは絶対に届きません。何故なら「彼」は…ナギの一番大好きな人だからです。 そんなある日のある朝新聞を読んでいると経済面にこんな見出しがありました。 「三千院グループ 京愛(けいあい)グループと資本提携へ 三千院グループの不振建て直しへ躍起」 ここのところおじい様が運営する三千院グループの業績が極度に悪化しているのは知っていました。 かつては右に出るものがなかった三千院財閥が、後進のライバルグループ京愛財閥にすり寄る形になっているのが三千院の没落を象徴していました。 「どうなっちゃうんでしょうね…。」 新聞記事を見て私は三千院財閥の行方に、そう呟きました。 そしてそれから数日後、私の運命を大きく変える電話がかかってきたのです。 私以外誰もいない昼下がりに、その電話は鳴りました。 「はい、もしもし。どちらさまでしょうか?」 「…マリアか?」 「クラウスさんですか?」 「そうだ。今時間はあるか?重大かつ急な話があるから今すぐ屋敷へ来て欲しいのだが…。」 久々に聞くクラウスさんの声は、少々あせっているような感じでした。 「分かりました。すぐ行きます。…重大な話というのは?」 「着いたら話す。じゃあ来れるなら急いでくれ。」 「はぁ…分かりました。」 電話を切った後、私はすぐにかつて住んでいたお屋敷へと向かいます。 重大な話とは一体…なんなのでしょうか? 「来たか。待っておったぞマリア…。」 お屋敷で待っていたのはクラウスさんとおじい様でした。 「おじい様…。」 「今日お前を呼んだのは他でもない。お前…ワシのグループ一門が京愛と全面的に提携するというのは知っておるな?」 「はい。…それが私に何か?」  「それでな、…我が三千院の復興を取り戻すためにも、京愛とはもっとつながりを強くしたいとワシは思っている。」 壁の壁画を見ながら、私に背を向けておじい様は話を続けます。 「はい。」 何となく…嫌な予感がしました。 「そしてそのためにはどうするのが良いか考えたんじゃ。急な話で悪いが………お前には京愛の一人息子に嫁いでもらう事にした。」 「なっ…!!」 私に告げられたのは突然な政略結婚の話でした。 「ナギはもう私との縁が切れておる。言っても何も聞かん愚かな孫だ。それに今更死に体の橘と組んだところでもう何もいいところはないしの。……お前を養子にして良かったと改めて思ったわい。」 「おじい様…。何を急な話を…ちょっと考える時間を頂けないんですか?」 おじい様の急で勝手な言動に怒りを感じますが、それを表に出さずグッとこらえて、私はおじい様の話を聞きます。 「…もう時間がない。京愛と提携する時に相手が持ち出した条件の1つでもあったんじゃからな…。これはもう覆す事ができんよ。」 「そんな………。」 「まぁ人助けだと思うて…今月の25日にはうちに帰ってきて届けと式をしてもらう。心の準備をしておけ、マリア。」 「………。」 もう言葉が出ませんでした。 「以上じゃ。突然呼び出してすまんかったの。この事はナギにも伝えておくようにな。今はお前がいなくともあいつはあの執事がおるから大丈夫じゃろう。」 言いたい事だけを言われて、おじい様は私を帰しました。 …突然過ぎました。私には何も言わずにこんな話を作っていたなんて。 政略結婚なんて財閥の家にいれば普通の話である事に間違いないですが、私の目の前で、私自身にそんな話が降りかかってこようとは思いもしませんでした。 -------------------------------------------------------------------------- アパートに戻って、夕食の仕込をしながら、私はさっきの事を考えていました。 突然私の運命を変えてしまったおじい様にはもちろん不満もありますが、今まで身寄りのなかった私に教育を与え、養ってきてくれたのもおじい様で。 その十分な対価を私が払う時なのかもしれません。 確かに…今の状況を考えれば、私を嫁がせる事によって三千院家が安定するなら安いものでしょう。 一つ、私の意思だけを除けば。 ……でも、いい機会なのかも。 誰かと結ばれれば…「彼」にもう諦めがつくじゃないですか。 京愛の御曹司だって、好青年でかつ敏腕の実業家と聞きますし、いい話である事には間違いないのでしょう。 愛のない結婚をするのは資産家の娘では良くある事ですから、そう思う事によって諦めをつけようとしました……が、 「…………。」 いつしか、私の頬は涙で濡れていました。 …諦めがつけられないんです。「彼」はナギのもので、絶対に私の想いは届かないって分かっているのに…!! 諦められなくて、それでも諦めようと思うととても辛くって、人を好きになるってこういう事なんだって。 「どうすれば…いいんですか…?」 私は…どうすべきなんですか…? …………。 「マリアさん?」 「ハヤテ君…。」 突然「彼」の声がして振り向きました。 いつの間にか学校から帰って来ていたようです。 「夕飯の仕込みですか。僕も手伝いますって…えっ、マリアさん泣いて……」 「ちっ違います!タマネギが目にしみただけですわ!」 …とっさの言い訳でしたが、今日のメニューにタマネギを使ったものはありませんでした。 「なっ、何があったんです?僕でよければお力に…。」 「な、…何でもないです。ハヤテ君は別に気にしないで下さい。」 「そうですか…。」 今、「彼」に想いを伝えてしまおうかとも思いました。 私の想いを聞いて、「彼」は…ハヤテ君はどんな反応をするんでしょう? 出来れば私の想いを受け取らないですっぱり断って欲しいです。それだったら…私だって諦めがつくから。 でも……もし、もしハヤテ君が私と同じ気持ちだったら…。 そうだったらとても嬉しい…ですけど、そうだったら…私はもっと悲しくなるのかもしれないです。 京愛との約束を破って、ナギの好きな人を横取りして私は結ばれるなんて虫のいい話があるわけないし、 そうなってお互いの想いを知った上で別れるなんて……とっても辛いじゃないですか。 -------------------------------------------------------------------------- 学校から帰ってきてみると台所で物音がするので、マリアさんに帰ってきた事を伝えようと台所へ入ると… 「マリアさん?」 「ハヤテ君…。」 やはり、そこにマリアさんはいました。 いつも通りの夕飯の仕込みですね、とお手伝いをしようと隣に立ってみると、マリアさんの異変に気がつきました。 「夕飯の仕込みですか?僕も手伝いますって…えっ、マリアさん泣いて……」 頬っぺたに濡れた筋がありました。マリアさんは…何故か泣いていたんです。 「ちっ違います!タマネギが目にしみただけですわ!」 マリアさんがそう仰いましたが作っておられる料理も、これから調理する材料にもタマネギはありませんでした。 つまり、マリアさんはそれと関係ない理由で泣いていたのです。 「なっ、何があったんです?僕でよければお力に…。」 悩みなら、僕にできる事なら、何でも協力したかったです。 だって僕はマリアさんが大好きな人で、その人が辛そうな、悲しそうな表情をしているなんて一秒たりとも見たくないからです。 ですがマリアさんは、 「な、…何でもないです。ハヤテ君は別に気にしないで下さい。」 そう仰られました。 「そう、ですか…。」 絶対何かあるのが明らかでしたが、詮索するのもマリアさんに悪いなと思って僕はそれ以上聞きませんでした。 ですけど…やっぱり自分の好きな人が泣いている姿を見るのは辛かったです。 -------------------------------------------------------------------------- それから…ちょっと経った時でした。玄関で久しぶりに聞く声が聞こえたのは。 「はい?あっ、クラウスさん…お久しぶりです。」 やってきたのはクラウスさんでした。 「マリアの忘れ物を届けに来た。さっき忘れていったようじゃったからな…。」 どうやらマリアさんの忘れ物を届けて下さったようです。 「さっき」、という事は…マリアさんはさっきまでお屋敷へ戻られてて、それで帰ってきて泣いて…。 ならクラウスさんならマリアさんが悲しまれている理由を少なからず知っているはず…! そう思った僕は、早速クラウスさんに聞いてみました。 「あの、マリアさんに何かあったんですか?」 「うむ…まぁ…そうだ。」 言葉を濁すクラウスさん。これはよっぽど何か大きな事があったようですね…。 「教えてください!マリアさん、なんかとても悲しそうな顔されてて…このままだとお嬢さまにも良くありませんよ!」 本当にお嬢さまにも良くないという心は半分、さらにそれにマリアさんの悲しむ顔を見たくないという気持ちも半分で、僕は再びクラウスさんに聞きます。 「……なら仕方ない、教えてやろう…。実はマリアはな……今月の末に京愛の御曹司に嫁ぐ事になったんだそうだ…。」 「えっ………。」 その言葉を聞いた瞬間、僕は稲妻に打たれたような衝撃を受けました。 僕はあまりにもショックで、言葉を詰まらせるのみでした。 マリアさんが、……マリアさんが、あの躍進中の大財閥、京愛の御曹司に、嫁ぐ……。 つまりそれは…マリアさんが結婚されるという事…。 「急な話でな。ワシもマリアもそれを知ったのはつい半日前の話なんじゃ。」 「そんな……。」 今までずっと目の前にいて、いつか想いを伝えようとしていたマリアさんが僕の目の前から離れていく…そんな現実を信じたくはありませんでした。 「ワシだって突然すぎて無茶な話だとは思っておる。じゃが帝様の命令だからのう…マリアも気の毒じゃよ。」 長年マリアを見てきたワシにからすれば…マリアには本当に好きな男と結ばれて欲しかった、とクラウスさんは苦い顔をしていました。 …マリアさんの涙のわけが分かりました。 僕もすごくショックでしたが、マリアさんはすごくショックで、だから涙を流されていたと…。 「…分かっておると思うが、この事はまだ口外するんじゃない。帝様が発表されるまでは黙っておくように。じゃあワシは帰るとするよ。」 「分かりました。お気をつけて…。」 僕は現実を受け止めようとして、けど受け止められなさそうにいました。 がっくりと肩を落として、信じられないという気持ちでいっぱいでした。 「……綾崎。」 帰るために背を向けたクラウスさんが立ち止まって、部屋に戻ろうとした僕を引き止めます。 「…何ですか?」 「ワシは昔…ここで失敗した。………マリアは知らんが、もしお前がその気なら、今ならまだ…『間に合わなく』もないぞ?」 クラウスさんは後ろを向いたまま、そう仰いました。 「え、クラウスさん…それって…。」 「…独り言じゃよ。では、またな。」 「はい。……ありがとうございました!」 クラウスさんに背中を押されて、僕は再び気力が戻ってきました。 ……マリアさんに想いを伝えるのは今しかない。もう時間はない。これが最初で最後のチャンスなんだ! 僕は今日、マリアさんに想いを伝える事を決心しました。 -------------------------------------------------------------------------- 「マリアさん、お話したいことがあるんで…ちょっと後でよろしいですか?」 夕食後の片づけをしていると、ハヤテ君にそう呼ばれて私は振り向きました。 ハヤテ君の声自体は普通でしたが、表情は真剣で、別に他愛もない話をする雰囲気ではありませんでした。 夕方にクラウスさんがいらっしゃっていたようですから、ハヤテ君が話すのは私が政略結婚される件についてだろうと悟りました。 「分かりました。いいですわ。」 「ありがとうございます。ではまた…後で。」 「……はい。」 残った食器を片付けながら、私はハヤテ君が何を言うのか考えていました。 あの様子からすると…私の結婚について何か言いたいんでしょうね。 ナギについて「無責任だ」と怒られちゃうのでしょうか?それとも…まさか…。 そのまさかの事を考えて、私は顔が真っ赤になりました。 そうだったらとても嬉しいですよ?でも、それは前に考えていた通りになる訳で…。 嬉しい事なのに、その後の事を考えると…考えるだけで辛くなりました。 その後食器を片付け終えた私は…ハヤテ君を探しました。 ハヤテ君を探して誰もいない居間に行くと、ハヤテ君がいました。 「…来ましたよ?」 「ありがとうございます。でもここだと誰か来ちゃうかも知れませんので…寒いですけど、外でお話をさせて頂けませんか?」 「…いいですよ。」 ハヤテ君の決意が見て取れました。私も…覚悟をします。 「ありがとうございます。ではあの…公園に来てもらっていいですか?」 「はい。」 寒いですけど、私はハヤテ君の話を聞くべく、ハヤテ君と一緒に公園へ向かいました。 「………。」 「………。」 公園に着くまで…私たちはお互いに無言でした。 まずハヤテ君は公園につくと、私に自動販売機で買った缶のミルクティーを差し出しました。 「これ…寒いですから暖める代わりにでも…。」 「ありがとう、ハヤテ君。」 私はハヤテ君からそれを受け取ると、両手に持って暖を取ります。 こういうちょっとした心遣いも、ハヤテ君を好きになった理由の一つです。 「それでは…寒いですからすぐに……。」 すぐにハヤテ君は話を始めました。 「…はい。」 「クラウスさんから話は聞きました。急なお話だったそうですね…。」 ハヤテ君の言葉の1つ1つから、気迫が感じられます。 「この人は今大事な事を私に伝えようとしている」という事が伝わってきます。 「京愛のご子息様について、マリアさんがどういうお気持ちなのか、僕には分かりませんが…もし、もしですよ!京愛のご子息様とご結婚を望まれていないんでしたら…!」 ハヤテ君の言いたい言葉が徐々に理解できてきました。 それはもっともハヤテ君に言って欲しい言葉であると同時に…絶望を呼び込む言葉でした。 お互いの想いを知った上で絶対に覆せない現実。 ハヤテ君、その言葉を言わないで…!! でもハヤテ君は…本気でした。 「僕は…!マリアさんの事がずっと好きでした!!今でも心から好きです!大好きです!マリアさん、もしよろしければ僕と結婚を前提に…お付き合い頂けませんか!?」 「ハヤテ君……。」 ハヤテ君が発する、私への熱い想い。 …ハヤテ君の言葉はすごく嬉しかったです。 私と同じ事をハヤテ君も想ってくれていたと知っただけでも。 「…僕の事、どう思われていますか?マリアさんは…。」 続いて、ハヤテ君が私に問いました。 ハヤテ君が明かしてくれた私への気持ち。私も…ハヤテ君への気持ちを話します。 「私も…ハヤテ君が好きですよ?本当に…本当に大好きですよ!」 私も…好きな人へ想いを伝えられて本当に嬉しかったです。 「マリアさん…!」 でも…嬉しかったのはここまでで、後は辛い話をハヤテ君に話さなければなりません。 せっかく…両想いだという事が分かったのに。 「………。」 「マリアさん?」 「でも…私は京愛へ行きます。」 「えっ…何故、何故なんですか!?」 もう私は辛さに押しつぶされて…泣き出していました。 「だって…だって、私はハヤテ君が好きなのに…うっ、ハヤテ君にはもうナギがいるから……私は…っ!」 「お嬢さまですか?違います…マリアさん。確かにお嬢さまが世界で一番大事な方ですが、お嬢さまに対する『大事』は命の恩人という事であって…好きな人、異性としては…見ていませんよ?」  ハヤテ君は…本当に鈍感なんですね。 「そうじゃないの…!ナギは、ハヤテ君のことが本当に大好きなんですよ!」 「えっ、お嬢さまが…!?」 ハヤテ君はとても驚いた表情をしていました。 ナギがずっとハヤテ君を想っていたなんて、思いもよらなかったからでしょう。 「ハヤテ君を借金から救ってあげたのも、学校へ通わせているのもみんなハヤテ君が好きだからナギがやってくれたんですよ?」 「そう、だったんですか…。」 「だから私はナギにハヤテ君を……。そして私はハヤテ君を諦めるために京愛に行こうと思っているんですよ?私だって……ハヤテ君が大好きなのに…!!」 悲しい言葉の連続。 本音は私もハヤテ君が思っているように、あなたと結ばれたかったですよ? ずっと…大人になっても、年をとっても、ハヤテ君のそばで笑いあいたいですよ? でも…それは私には許される事のない願望だったんです。 それなのに…。 「そうですか…。でも僕は…申し訳ないですけどマリアさんを諦め切れません!」 ハヤテ君の言葉は思いもよらぬ言葉でした。 「分かりました。では僕はお嬢さまにお話しします!今までのお嬢さまの温情に感謝して、あつかましい事を承知でそれでもご好意には答えられないとはっきり言います!そして僕は今までの恩を一生かけてお嬢さまにお仕えするという事で返したいと思います。」 「僕はマリアさんを本気で好きですから、どんなに壁があっても、もしそれが1%でも壊しに行ける可能性があるなら僕はそれを壊しに行きますよ!」 ハヤテ君の想いは1度も冷める事なく、むしろ燃え上がるような決意を私に伝えてきました。 -------------------------------------------------------------------------- マリアさんに全ての想いをぶつけた僕は、マリアさんとともにアパートへと戻ってきました。 僕の気持ちをマリアさんに知ってもらえたと同時に…マリアさんの気持ちも全て知りました。 僕がマリアさんを想っていたと同じようにマリアさんも僕を想ってくれていて…本当に嬉しかったです。 ですが、僕はマリアさんからお嬢さまの本当の気持ちも聞かされ…僕はしっかりとけじめをつけるべく、今度はお嬢さまとお話をする事にしました。 「ただいま戻りました。お嬢さま…突然で申し訳ないんですがお話があるんで今…よろしいでしょうか?」 部屋にいらっしゃったお嬢さまに、話を切り出しました。 「おぉ。何だ?言ってみろ。」 「あの…お嬢さまが僕を好いてくださっているというのは…本当でしょうか?」 「バッ…い、いきなり何を言っているんだお前は…。そんな当たり前の事を私に言わせるのか!?」 お嬢さまは顔を真っ赤にされてそう仰られました。 「はい。実は大変無礼というか申し訳ないのですが…僕は今までお嬢さまの好意に気づくことが出来ませんでした。大変申し訳ありませんでした。」 お嬢さまの好意に気づいてあげられなかった事に僕は頭を下げます。 「なっ、何だと? ……ん…、まぁよい。私も口に出して言った事はなかったから無理はない。今気づいてくれても全然、大丈夫だぞハヤテ……。」 そう仰るお嬢様でしたがショックは隠しきれなかったようです。 「それでなんですがお嬢さま、僕は…大変申し上げにくい事が2つあります。」 そんなお嬢さまに僕はさらに辛くなる事を言おうとしていると思うと、さらに心が辛くなりました。 …ですが、辛いのを覚悟で僕は続けます。 お嬢さまにお伝えしない限りには、先へは進めませんから。 そして覚悟して、お嬢さまに伝えました。 「僕は…お嬢さまのご期待に沿う事はできません。」 「それは…どういう意味だ?」 お嬢さまは信じられないといった表情で僕を見ています。 「僕はお嬢さまの好意には応えられないという事です。」 「何故だ?ハヤテは私の事が嫌いなのか!?」 「そんな事ある訳ないじゃないですか!お嬢さまは僕の命の恩人で、世界で一番大事な人です。…その事に変わりはありません!ですけど……お嬢さまを『好きな人』として見る事は出来ません。大事だからこそ、僕はお嬢さまを選ぶことが出来ません。」 「じゃあお前…そう言うって事は、誰か他に好きな人がいるのか?…いるとしたらそいつは誰なんだ?」 お嬢さまは焦るように言います。 「はい。います。僕は…さっき、マリアさんに想いを伝えてきました。」 「ハヤテ………お前、私が前に言った事を忘れて…」 昔に「マリアに手を出すのは許さん」とお嬢さまが仰られていたのは承知の上です。でも… 「覚えています。でも僕は…ずっとずっと想っていました。マリアさんの事を。でも…マリアさんには急な話があったんです。」 僕は、ここまでの経緯を話します。 「急な話?何だそれは?」 「はい。マリアさんは…今月の末に京愛の御子息様とご結婚されるそうです。」 「え……。」 「それで僕は…いてもたってもいられなくなってマリアさんへ想いを伝えました。」 「それで…マリアはお前になんと言っていたんだ?」 できる限りの平静を装うお嬢さまでしたが、余裕がないのは見てとれました。 「マリアさんも僕を好いて下さってました。ですが、マリアさんからお嬢さまの想いを知って…お嬢さまにお話させて頂きました。」 「………。」 「今までの事については本当に申し訳ありませんでした!この無礼を一生かけてお嬢さまにお仕えする事によって返します!ですから…お願いしますお嬢さま、マリアさんとお付き合いさせてください!!」 僕が言い終わった後、お嬢さまは呆然としていました。 -------------------------------------------------------------------------- 「……マリアさんも僕を好いていてくださっていました。ですが、マリアさんからお嬢さまの想いを知って…お嬢さまにお話させて頂きました。」 ハヤテからの話を聞いて、私は周りの世界が崩れていくような衝撃を受けた。 何故だ?何故だ?何故なのだ!?何故私の日常を突然奪うのだ! ハヤテはマリアが好きで、そのマリアは政略結婚で嫁ぐだと…!? 大好きな人が、また私から離れていくのか…!?けど、その大好きな2人は私を裏切って…! 「………。」 昔の私だったら、黙り込まずに聞くだけで怒り狂っていただろう。何故私の想いに報わないのだお前は!この裏切り者が!!と。 しかし、私は妙に冷静になっていた。あまりにもショックすぎて、思考回路が許容量を超えてしまったようだった。 さっきのハヤテの話を聞いて、私の想いはずっとハヤテに届かず空回りしていた…という事を理解した。 別に学校とか借金とか、恩を売ったつもりはない。だが…ハヤテは私がどうしてそれを行ったのかという気持ちを理解してくれなかったようだ。 ……すごく悲しかった。今までの私の想いは、全部ハヤテに届いてはいなかったのだ。 そして、ハヤテにマリアがずっと好きだったと知らされた。 衝撃だった。だが…思えば、確かに思い当たらないところはないわけではなかった。 マリアの前ではよく笑っていたし、私の知らないところで2人で別行動していたり…今までそんな事は幾度となくあった。 ………。 「お嬢さま?」 ハヤテだけでなく、マリアもだ。 いつか私と同じように好きな人ができて、私の元を離れてしまうと覚悟はしていた。 それが…何も前触れもないまま、政略結婚するなんて。 新聞を読んでいて、最近ジジイのグループの業績が極端に悪化していたのは知っていた。私もそれを受けて早々に株を売り抜いていたからな。 それであの京愛と提携するためにマリアを差し出すというのかあのジジイは…!!ひどいやり方に怒りがこみ上げた。 私はマリアが大好きだ。母のいない私に、母のように、姉のように、または良き相談相手として接してくれた。 だから私はマリアに幸せになって欲しかった。大好きな人にはずっと笑っていて欲しいのだ。 ああ!全くどうすればいいんだ私は…!! ……あの後ハヤテは私からの返事を待つと言って、明日の料理の仕込みをしに行った。 ハヤテからも申し訳なさが見て取れた。そして、決意も。 私は混乱していた。私の大事な人が2人、私から離れるかもしれない…と。 ハヤテは私からは離れないだろうが、大きな溝が出来てしまう…。 どうすればいい?どうしたらいい? 私はハヤテが大好きで、その想いは誰にも負けないと思っている。 生まれて初めて本気で好きになった人。いろいろなものを失っていた私に、いろいろなものを与えてくれた人。 それが…私の中のハヤテだった。 けどハヤテはマリアが好きで、マリアもハヤテが好きで…。 答えはもう出掛けていた。でもその答えにするには、まだ踏ん切りがつかなかった。 私だってハヤテが大好きで、ハヤテへの想いを諦められないからだ。 部屋で一人考えようにも当事者のもう一人であるマリアとは顔を合わせられなくて部屋には戻れず、私が向かったのは…千桜の部屋だった。 ------------------------------------------------------------------------- 千桜なら私の話を理解して、いい答えを導いてくれるかもしれない。 そう思って、私は千桜の部屋の戸をノックした。 「…今、入っていいか?」 「……いいよ。」 千桜はそう一言言って、私を迎え入れてくれた。 「…大変だったみたいだな。」 「聞いてたのか?」 「途中から聴こえてたさ。…あんな綾崎君の声、初めて聞いたよ。」 ちょっと顔を赤くして、そう言う千桜。 「……どうするんだ?」 「ハヤテは…私と結ばれるものだと思っていた。それなのに…」 「お前の思いは知ってるよ。でも仮に…お前が綾崎君の想いを聞いた上で強引に綾崎君を自分の相手にしたとして、綾崎君はマリアさんが好きなのにお前はそれを耐えて一方通行の想いを送り続けられるのか?」 「………つまりそれはハヤテの事を諦めろと?」 一番…これが簡単な答えだ。 私が引けば丸く収まるのは分かっている。けど…私はハヤテを諦められなかった。 「違うな。別に綾崎君の事を諦める必要はないよ。マリアさんだって出来た人だ。綾崎君以上の人を見つけるかもしれないぞ?」 「逆に言えばお前だって、案外綾崎君以上のいい人を見つけるかもしれない。人の心はどうなるか分からないんだ。」 一呼吸置いて、千桜が話を続ける。 「それに……仮に綾崎君がマリアさんを選んだとしても…綾崎君も、マリアさんだってずっとお前のそばに居てくれるんだろう?」 「今まで通り多少のわがままも聞いてくれて、しっかりお前の事を見ていてくれる。今はいいんじゃないか?あの2人が今すぐにでも結婚したりするわけじゃないんだからさ。」 ただ多少の覚悟はいるかもな、と千桜は言った。 「………そうかもな。」 ちょっと心が晴れてきた気がした。 といっても、ハヤテの想いは変わらないだろうし、マリアだってそうだと思う。 でも、ずっと一緒に居るならば、私にもいつかきっともう一度チャンスが巡って来る可能性もあるかもしれない。 「……認めたくはないが、私には足りないものが多すぎる。それを拾って…私は自分を心底好きになってくれて、私も好きになれるような人を探す!」 「あぁ、頑張れ!」 決めた。私は…変わる! すぐには変われなくても、私は変わる…いや、変わりたい! 漫画家になる夢も、「好きな人」と一緒になる夢も、全部叶えてみせる! 「…でもお前はもう一つ覚悟しないといけないな。」 千桜が言っているのは…おそらくジジイの事だろう。 私がマリアを守れば、今傾きかけている三千院財閥はおそらく倒れる。 三千院を守るのかマリアを守るのか…これは絶対にどちらかを選ばなければならない事だった。 「ああ……三千院とはもう縁が切れているんだ。向こうから縁を切ってきたんだし、今更私が遠慮する必要なんかない。」 ただ選ぶのは簡単だった。未練なんかない。前にも言ったとおり、借り物の人生なんて真っ平ごめんだからな。 「そうか…なら決まったじゃないか。じゃあしっかり言ってやって来い。」 「…言ってやるよ。何があろうと私の知ったことじゃないと。」 私は三千院家と決別し、マリアを守る事にした。 ------------------------------------------------------------------------- あの後…私は千桜の部屋で寝て、翌朝…私はハヤテとマリアを呼んだ。 「ハヤテ。待たせたな。」 「いえ。」 「正直なところ私はお前が好きである事には誰にも負けないと思っている。でも、私はお前の事が好きだからこそ、お前に喜んで欲しい。…だから、もう好きにしろ。」 言うのに全く辛さがなかったわけではない。正直言って、泣きそうだった。 人の幸せを願って自分の想いを封じ込める事など今までなかったから、その辛さを味わうのは初めてだった。 けど涙をこらえて、私は話を続ける。 「お嬢さま……っ!」 「言っておくが勘違いするな!私は別にお前を諦めたわけじゃないんだからな!?もしマリアがお前を振ったら私はすぐにでもお前の心を奪いに行くぞ?」 これは精一杯の強がりだった。ハヤテだってマリアだって、お互いがお互いを嫌いになるなんてあり得ない。 「お前……言ったよな?『この無礼を一生かけてお嬢さまにお仕えする事によって返します!』と。その言葉にウソはないんだな?」 「……もちろんです。この命に代えても…約束します。」 ハヤテの決意と想いを確認して、私は呼んだもう一人…マリアに視線を移す。 「マリア。」 「……はい。」 マリアは私の声に俯いたまま答えた。 「……なぁマリア、ひょっとしてハヤテを好きになった事で、私に対して後ろめたいと思っているのか?」 マリアはわずかに頷いた。 確かに、傍目から見れば私が愛していたハヤテをマリアが横から一気に持って行ってしまったようなもので、後ろめたさを感じるのも無理もない。 「顔を上げてくれ。マリアは…いつも私のそばに居てくれて、いろんな事を教えてくれて、おいしい料理を毎日作ってくれて。今まで気恥ずかしくて言えなかったが、その……とても感謝している。」 マリアはゆっくり顔を上げた。 泣き腫らした目が、昨晩マリアがどんな気持ちだったかを静かに語っていた。 私の知らなかったハヤテのこと。ハヤテが知らなかった私の事。 それを知っていたからこそ…マリアはハヤテを想う事に罪悪感を持ってしまい、一人ずっと泣いていたのだろう。 私がマリアの泣き顔を見たのは…これが初めてだった。 「もしお前が良かったらなんだが、その…褒美をやろうと思う。……自分の気持ちに素直になっても、私は別に構わない。だから…笑ってくれないか?マリア…。」 「ナギ……っ!!」 マリアの目からみるみる涙が溢れてきて、そして私を抱きしめた。 「京愛なんかへ行くな…!!マリアには…ずっと私のそばに居て欲しいんだ…っ!!」 私の本心が漏れた。そして私も泣き出していた。 「ナギ…あなたって子は……!」 しばらくの間、私とマリアはお互いの大事さを肌で感じていた。 そしてちょっと落ち着いた後、私は咳払いをして、念押しをした。 「ただ私はあの三千院をおそらく敵に回した。何が起こるかわからんがそれでも…いいな?」 「はい。僕がお嬢さまとマリアさんを守ってみせます!」 「じゃあ…頼んだぞ。」 この言葉の瞬間、私の初恋は…事実上、失恋に終わった。 -------------------------------------------------------------------------- あれからしばらく経って今日は12月24日。マリアさんの誕生日の日です。 お嬢さまからマリアさんとのお付き合いを許された僕は…厨房で一人料理の仕込みをしていました。 お付き合いを許されたといっても…忙しかったりいろいろで別にまだ恋人らしい事は何もしていませんが。 やっぱり他の方の目もありますし、お嬢さまの事を思うと…それはマリアさんも同じようでした。 普段ならマリアさんと一緒に厨房に立つ事が多いのですが、マリアさんは今日の主役ですから、僕が台所に立っています。 ちなみにクリスマスといえばディナーが定番ですが、今はまだ午前10時だったりします。 何でも夜はお嬢さまも、千桜さんも、カユラさんも、そしてせっかくこの日のスケジュールを空けてくれたルカさんまでも出かける用事があるそうで……。 そんなわけで、僕はランチに間に合わせるべく準備をしていたのでした。 「…よしっ。」 準備は完璧、と僕は味見をして、食器を出したり机を飾ったりと準備を進めていきました。 そしてその日の昼、クリスマスパーティを兼ねたマリアさんの誕生会が行われました。 クリスマスツリーをバックに、僕たちはマリアさんを祝いました。 僕からは大したものをマリアさんに贈れないと思ったので、ケーキをはじめとした僕の自信作たちで喜んで頂こうと思いました。 いつも以上に心をこめて、僕の持てる技術を全部使って、マリアさんの事を想って…仕上げました。 その自信作がお嬢さま、マリアさん、皆さんに喜んで頂いて僕も本当に嬉しかったです。 そして夕方になって…。 「あ、お嬢さま…もうお出かけですか?」 玄関を出ようとするお嬢さまたちを見つけて、僕はお嬢さまを呼び止めました。 「あぁ…まだ原稿があるからな。最後の追い込みだよ。」 「え、原稿…という事は皆さん…。」 お嬢さまのかばんからチラッと原稿用紙のファイルが覗いているのを見るとどうやら漫画を描かれるようです。 「私のうちでやるの。ナギの部屋と違って何もないから静かでいいしね。」 ナギの部屋はいろいろ誘惑が多くて困るから…とルカさんが人差し指を立てて仰います。 「今日は徹夜だろうな…まぁ綾崎君はサポートしなくても私がいるから大丈夫だぞ?」 「ナギは私も見てるから問題ない。」 まぁ、何かあったら呼ぶからと千桜さんに言われ、僕はお嬢さまたちを見送ったのでした。 「………。」 お嬢さまたちが出かけて…僕はある事に気づきました。 今、お嬢さまがいなくて、千桜さんもいなくて、カユラさんもいない…。 あれ、つまり今…この家には僕とマリアさんの2人しか…いない!? 「………。」 そう考えた途端、僕は急に胸がドキドキしてきました。 好きな人と…2人きり。 今までマリアさんと2人きりになった事はもちろんありましたが…今日のドキドキはいままでのものと全然違っていました。 お互いが「好き」と分かった上での2人きりなんです。 ………。 頬っぺたに手を当てて、考え込んでしまいました。 その当てた手からは顔からの熱を伝えて、僕はますます緊張してしまいます。 「…ハヤテ君、どうしたんですか?」 「マリアさんっ!?」 突然のマリアさんの声に驚いて、僕は声が裏返ってしまいました。 僕は玄関でそんな事をしていたものですから、マリアさんが不思議そうな顔をしてこちらを見ています。 「ナギはもう出かけたんですか?」 「はい。千桜さんやルカさん、カユラさんと一緒に漫画を描かれるようです。今日は徹夜するだろうから帰ってこない…と仰られてました。」 「今日は帰ってこない…んですか?」 「……はい。」 「え、えっとそれはつまりその…こ、今夜はハヤテ君と2人っきり…って、事、ですか…。」 その意味を理解して、マリアさんの顔もボンッと湯気を立てそうなくらいに急速に赤くなりました。 -------------------------------------------------------------------------- お嬢さまが僕たちに気を遣って下さったのか、それとも単なる偶然かもしれません。 でも今僕はマリアさんと2人きりなのは事実で、とても緊張していました。 今は2人でテレビを見ているのですが…とにかく間が持たないです。 「………。」 お互いに緊張して何もしゃべれなくて、紅茶とお茶請けのクッキーが減っていくばかりです。 やっぱり、ここは僕が何か気の利いた話をしないと… 「あの…マリアさん、」 「あの…ハヤテ君、」 あっ…。被った…。 「マ、マリアさんから、どうぞ…。」 「いえ、ハヤテ君からどうぞ…。」 とりあえず言い出してみたものの、何を話したらいいのか焦ってしまいます。 何かちょうどいい話は…えっと…。 「あ、えっと…今銀杏商店街でクリスマスイルミネーションをやってるらしいんで…一緒に見に行きませんか?」 言った後に気づきました。あ…これってデートのお誘いみたいじゃないか! いや、まぁマリアさんとはその…恋人同士って事にはなっていますけど、こういう事に誘うのは勇気がいるというか…。 昨日の僕はどこへ行ったのやら、と自分に呆れます。 「……いいですよ。」 マリアさんはこのお誘いを受けてくださいました。 そして…僕たちは、夜の街へと繰り出す事になりました。 夕飯をささやかに済ませた後、僕たちは銀杏商店街へ向かいました。 「わーっ、キレイですね〜。いつもと全然雰囲気が違いますね…。」 「本当ですね。すごーい…。」 いつもバイトで訪れるこの商店街ですが、夜になってイルミネーションが灯ると昼の雰囲気とは一変して幻想的な雰囲気に包まれていました。 そして…道行く人たちのほとんどが手を繋いで、肩を寄せて歩いているカップルの方ばかりで…僕たちは並んで歩いているものの両手が空いている事に気づきます。 ………。 ちょっと考えて、僕はマリアさんに聞きました。 「あの…マリアさん、手…繋いでいいですか?」 「………。」 マリアさんは無言でおずおずとしながら僕は手を差し出して下さいました。 「ありがとうございます。じゃ、行きましょうか。」 「はい。」 僕は差し出されたマリアさんの手を優しく握って歩きだします。マリアさんの手の感触は久しぶりでした。 昔…ずっと前に嘘デートでマリアさんと手を繋いで歩いた事はありましたが、今回は、本当の…デートみたいなもので…。 あの時は全く自分の中の思いに気づかずお嬢さまの命令のままやっていましたが…まさかマリアさんと両想いになって、今こうして2人で出かけているなんて正直信じられないです。 「あの…ハヤテ君。」 そんな事を考えてしばらく歩いていると、マリアさんが僕を呼び止めました。 「はい?」 「あれ…乗ってみません?」 マリアさんが指差したのはこの商店街の名物である…大観覧車でした。 -------------------------------------------------------------------------- 夕方、ハヤテたちと別れた私たちは…ルカのマンションで私たちは漫画の原稿を描いていた。 と言っても今部屋にいるのは私とルカだけで、千桜とカユラはコンビニへ買い物へ行っていた。 「今頃…ハヤテとマリア、何してるかな…。」 私はつい独り言を呟いた。原稿を描いていても気になってしまっていた。 もともとハヤテとマリアに2人きりの時間を与えるつもりでここへ来たものの、私の心はズキズキと痛んでいた。 ハヤテをほぼ諦めると決めたものの…それでもハヤテをまだ諦めきれない気持ちが、私の心を槍で突きまくっていた。 「へぇ…マリアさんだったんだ。ハヤテ君の好きな人って…。」 机の向こう側で、ルカがそう呟いた。 その口ぶりは、まさか…。 「ちょ、ルカ、お前まさかハヤテの事…。」 「うん、この前…伝えたよ。けど…ダメだった。」 恐る恐る聞いてみたが、ルカは割と平然に答える。 「あはは…嘘つきだよ、ハヤテ君は。……ちょっとやそっとのお願いじゃないし、ものすごく空気の読めないお願いするって言ったのになぁ…。」 歌えなくなっちゃいそうだね、今度の新曲…と冗談交じりにルカは言った。 「…ルカ。」 「何?」 「お前……辛くないのか?」 あまりにも平然として言うルカに私は言った。 その言葉が、実はずっと耐えていたルカの精神状態を崩す引き金になった。 「辛くないと………思う?」 ルカはもう泣きそうだった。 「初めて、心から人を好きになれたのに……歌でしか知らなかった『恋』をどんなものか知ったのに…っ!でも…でもその人には好きな人がいるからごめんなさいって…!言葉だけなのになんでこんなに重いんだろって……!!」 ルカの泣き声に釣られ、私も時間差で崩れて行った。 「私だって…ハヤテを思う気持ちは誰にも負けない自信があったのに…!!でもハヤテにはその想いが全然届いてなくて…!!」 そしてしばらく、私たちは原稿用紙が濡れてしまうのも厭わずに、想いが届かなかった失恋のショックに大泣きしていた。 -------------------------------------------------------------------------- マリアさんの提案で僕らは観覧車へ乗りました。 観覧車はちょっと待ちましたけど、待つだけの価値がある景色が眺められて、まさに絶景でした。 特にイルミネーションの形が、上から見ると七色に輝くクリスマスツリーが描かれているという凝った作りになっていて、その光にはため息が出るほどでした。 「ハヤテ君。」 そして、観覧車が頂上に来るちょっと前辺りで、マリアさんが僕を呼びました。 「はい。何ですか?マリアさん。」 「私…今でも信じられないんです。ハヤテ君と今…こうしている事が。」 「…僕もです。本当、夢みたいで…。」 お嬢さまが許してくださって、僕の想いをマリアさんが受け取って下さって、今こうして2人きりで肩を寄せて観覧車に乗ってるなんてマリアさんに想いを伝えたいと思った頃の僕に想像できたでしょうか? 「今の夢みたいな時間が本当かどうか……ハヤテ君、確かめてくれませんか?」 そう言ってマリアさんは…目を閉じました。 えっ、これって…えっと…マリアさんは……僕と…その……。 「ハヤテ君。……私だって、その…恥ずかしいんですよ?」 僕が焦っているとマリアさんは恥ずかしそうに仰って、もう一度目を閉じます。 「えっ、あっ…すいません!では…えっと…下手だったらごめんなさい…。」 そっと、マリアさんへと顔を近づいていきます。 「ん………。」 そして静かに…僕はマリアさんと唇を重ねました。 マリアさんの唇は…温かく、柔らかく、そして少し濡れていました。 「確かめられました?」 「…はい。ありがとうございます、ハヤテ君。」 紅潮した顔で、濡れた瞳で、そんな顔でそんな事を言われたら僕は…っ!! もう、我慢が…できません。 「マリアさん…!!」 「ハヤテ君!?」 観覧車が下へ降りるまで、今までの反動で歯止めが利かなくなった僕たちは…幾度となく唇を重ねました。 そしてこの日、家へ戻った僕たちは…ついに一夜までも共に過ごしてしまったのです。 -------------------------------------------------------------------------- 翌日の12月25日。僕は…横に最愛の人を見ながら、目を覚ましました。 マリアさんと一緒に目覚めて、お嬢さまが帰ってくる前に後片付けをして、お嬢さまたちが帰ってくるのを待ちます。 「マリアさん、その…痛くありませんか?」 「ちょっと…痛いですけど、大丈夫です。」 残されたわずかな時間でしたが、僕はずっとマリアさんと一緒に過ごしていました。 「ただいまー。ハヤテー。今帰ったぞー。」 「お帰りなさいませ。」 徹夜で漫画を描いていたであろうお嬢さまたちをマリアさんと一緒に出迎えて、また普段どおりの日常が始まろうとしていました。 その時です。 「はい。マリアですが…」 マリアさんに電話がかかってきました。…お相手は三千院のおじいさんのようです。 「いえ、私は……おじい様の…」 「マリア、代われ。私が出る。」 言葉が詰まるマリアさんの代わりに、お嬢さまが助け舟を出しました。 「マリアはお前のものじゃない!!マリアのことは自分自身で決める権利があるに決まってるだろ!!」 ケータイを受け取るなりお嬢さまはすごい剣幕で電話口の向こうにいるおじいさんにまくし立てていました。 「私?私は…もう大事な人を失いたくない!マリアもハヤテも…ずっと私のそばに居て欲しいんだよ!未練はないと言えばウソになる!でも今の私はお前と違って…自己都合のために人の人生まで歪ませるつもりはない!!」 お嬢さまの溢れる本心の言葉に、僕もマリアさんも涙を流していました。 こんなにまで他人(ひと)のことを想ってくれているお嬢さまに出会えて、お仕えできて幸せだと。 一生僕はお嬢さまにお仕えすると改めて心に誓いました。 「自分が作った問題くらい、人の人生狂わせてまで押し付けるな!!自分で最後まで後始末しろこのクソジジイ!!」 お嬢さまは最後にそう言って電話を切りました。 それ以降、三千院のおじいさんからは電話がかかってくる事はありませんでした。 その後…三千院財閥は京愛財閥の傘下に組み入れられ、消滅しました。 消滅の報道を聞いたときのお嬢さまの顔は…晴れやかでした。 そして1年後、僕はマリアさんと約束通り結婚しました。 多くの人の祝福を受けて、ついに僕たちは結ばれました。 ですが、その裏にはたくさんの方の涙と想いがありました。 その想いを裏切らないためにも、僕はマリアさんを一生愛し続けて、いつか来る最期の時まで連れ添うと決めました。 たとえどんなに辛く困難な事があったとしても…横にいつでもマリアさんとお嬢さまがいれば、きっと乗り切れます。 そう、きっと…。 「〜Happy End Series〜 Ver.Maria」 完 --------------------------------------------------------------------------